歴史の使い方

茶花スタッフ

2007年05月02日 20:16


歴史の使い方  著)堺屋太一

◇歴史は教養であると共に実学でもある。
◇賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う。
◇人は成功体験には警戒し、失敗の経験こそ活かされるべきなのだ。
◇何事も現象を並べるだけでは学問にならない。現象から原因を探し、原因の間から原理を極めてこそ学術的価値がある。
◇日本の国土の歴史と日本民族の歴史と、その双方をからめた日本の歴史とが、ほぼ過不足なく一致している。世界でも珍しい歴史である。
◇黒船(ペリー提督)渡来後のアメリカが、その後干渉していないのは、南北戦争のため。
◇日本の戦国時代と西洋のルネッサンスの同時同類性。
◇応仁の乱から関が原合戦までの約130年間に日本の人口は二倍、GDPは三倍にもなった。
◇関が原から「忠臣蔵」の頃までの約百年に人口はさらに2倍になりGDPは3倍になった。
◇日本の時代区分はすべて首都機能の所在地である。西洋史は主要な分明史。それに対し中国中心の東洋史は王朝別に区分された王朝史である。
◇武帝の後宮の女性が自分の部屋に寄って(牛車が止まる)もらおうと、門口に塩を盛りだしたのが、今日の水商売のお店の前に盛る塩の習慣となった。
◇日本人の美意識は「生成りの文化」にある。
◇修正主義の光秀の発想と、革命家秀吉の主張、この二人のビジョンの違いが、二人の判断と行動の差として現れた。
◇非武装国家・江戸時代の日本は、租税負担率の低い(10%~30%)社会だった。
◇産業革命によって日欧の差は開いた。
◇江戸時代から明治維新まで約260年間に「コンドラチェフの波(60年周期)」は4回ある。
◇人事では時代の変化に対処できない。
◇明治維新時にイギリス陣営に属したこと、大戦後にアメリカ陣営に属したことは、日本の幸運である。
◇人類の文明を決定する「犯人」は三つ、人口と資源と技術。
◇人々の欲求は物量から満足へ、資源多消費から知恵多利用へと変わったのである。
◇近代工業社会では可処分所得の格差縮小を重視した。
◇人の幸せが満足であるとするならば、満足度の高い仕事をするために消費する物財を削るものがでることも許される。その仕事の中には売れない芸術も失業も入る。
◇客観的な「質」よりも、自分自身の満足こそが「良質」なのである。技術の世界も著しく主観化している。
◇主要な生産手段は働くもの自身の持つ知識と経験と感性になる。このため、生産の組織はより属人的なジャズバンド型になる。組織は有能有志の人によって創られ、ポストはそこにいる個人の能力に合わせて伸縮する。
◇知価の価値は、社会主観によって左右される可変的なものだ。知価を客観的に予測することは、不可能であり無意味である。
◇地球上から国家の影が急速に薄れている。